別に発達障害が生きているわけじゃない
発達障害って聞くと、
「空気が読めなくて、じっとしてられなくて、勉強ができない」
という印象を持たれる。
まぁ、正解っちゃ正解です。でも、ざっくりとした印象とか考えは発達障害じゃなくて何事にもあるものなんだけど、それがすべてじゃない。
さっき言った「空気が読めない」はアスペルガーだし
「じっとしてられない」はADHDだし、
「勉強ができない」はLDで、それぞれ違う発達障害。
この3つのうち、一つだけ持っている人もいるし、全部ある人もいる。人それぞれ。(私は注意欠陥障害だけどADDよりなのでじっとしていられないということはない)
っていう当事者なら当たり前なことはさておいて本題に入るぜ。
発達障害ってその人の一部の部分なのに、それがその人の全部のように感じません?当事者も、周りも。
当事者の中には「発達障害は」って主語に使ったり、枕詞のように多様している人がちらほらいる。だいたいのことは発達障害ならではのことなので、別にいいけれど、
「それって個人的なことじゃない?」とか「それは趣味趣向なのでは?」と感じる文言も多々あって違和感を感じる。
そのような人を見ると発達障害という部分に囚われて自分の好きなことができてないんじゃないのかなと誠に勝手ながら心配してしまいます。
好き嫌いって発達障害によって多少影響を受けるかもしれないけれども個人差があるものだと思うのでぜひそこは大事にせな!!!!!と思います(突然の関西弁)
発達障害としての自分を大事にするのもいいと思うけれど、それ以外の自分について考えてみるのも大事だと思うわけ。
以前は「発達障害だから」と言い訳のように使い、いかに発達障害から逃げられるかを考えて物事を選択していた時期がありました。
でも、それは自分の人格をまる無視していました。
だから私は現在発達障害だからと言って何かしていることはございません。
同じ発達障害でも症状の差は色々!好きなことは十人十色!人は人!私は私だよ!
まぁね、障害を忘れられるって障碍者としてゴールだと思いますが、できたら苦労しねぇよって話。